2016年08月10日

『小林秀雄の後の二十章』小川榮太郎著 水村早苗『日本語が亡びるとき』熟讀(四百十九頁~四百九十八頁)

日本語といふ鬼と偉さうな男たち―――
 我が國の戰後ヘ育の在り方は、「緩やかな占領統治政策」の核であり、「英語化絶對」が大目標として掲げられ、先人がその御旗に扇動され嫌々妥協しながら實施した處に、最大の歪みを抱へてゐる。
 戰後の國語論・ヘ育論とは概して、國語と英語、どちらが優れてゐるか、どちらに力點を置いてヘへるべきかといつた比較論よりも、占領政策の適否の問題であつた。文化論よりもまづ、その政策自體に意味があつたのか無かつたのかを、吟味する必要に驅られたといふことである。また、かうした政治的配慮の必要性が、純然たる國語論、言語学としての考察の妨げとなってゐるのは明らかである。
 占領政策としての國語は、「國民全員を〈書く主體〉にしようとした」のである。
 そこのところで想定されてゐるのは、國語・大和言葉を讀み書き出來るやうになるといふことではない。英語をヘへるといふ目標が先に在って、いきなり英語をヘへると面食らつて馴染めないだらうから、國語を初等ヘ育のヘ材として與へ、書くこと自體に親しんでもらふといふ程度の配慮である。
 當時米國は、フィリピンを植民地とした經驗があり、土着の言語を排除して直接英語を公用語化することに成功してゐる。日本でも、當然そのやうな方法を採ることが検討されたほどである。
 國民全員が書けるといふことが重要視されるから、漢字の全廢、少なくとも簡略化、假名の表音文字への統一化等といった施策が出てくるわけである。
 日本人は、占領政策として、まことに無神經・無遠慮な國語改革を、強制的にではないにしても、進んで取り入れることを強ひられた。

 國語ヘ育の理想を、「〈讀まれるべき言葉〉を讀む國民」に育てるところに設定しなかった。いや、その自由が無かったのである。我が國が將來どのやうな國民に成つて欲しいのか、理想を掲げてヘ育制度を編む自由が奪はれてゐたのである。

 ならば、我々に必要なのは戰ひである。
 米國主體の占領政策は、少なくとも日本國にとっては無意味なものであり、文明の發展に寄與しはしないと。戰後七十年を經て、もはや米國の占領政策に屈し續けてゐる理由はない、といふ論戰であらう。

 しかし、現實の論壇はそのやうな熱を帯びてゐない。
 水村氏が最も冷笑してゐるのは、輕蔑しまた警鐘を鳴らしてゐる危機とは、「文明論としての妥當性や文化保守主義といふ思想的立場ではない」。本當に問題なのは、現代文學の萎えきった現實であり、それに象徴されてゐる「ひたすら幼稚」で「凡庸で限りなく一様になっている、現在の日本語全般の衰弱といふ現實」である。
 言論の自由を謳歌しながら、一方で自由であることで滿足し、言語の本質を探るでもなく新たな潮流を創り出すでもなく、怠惰な日常を送る堕落した現代文學界に對してである。
 戰つてゐないではないかといふ指摘なのである。そのやうな地盤から、日本人の國語力をどうすれば増強できるか、などといふ發想は出て來ない。

 水村氏の書が感銘を與へるのは、現実の惨状を嘆きながら、言論者としての直感として「これではいけない」と自覺し、英語といふ普遍語を巡る壯大な文明論を通して、日本語を論じることで、危機感を発露したからである。
 「英語の猛威と日本語の衰弱(455頁)」とは、もとを正せば、大東亞戰争という一戰の勝敗の結果である。戰ひとは、軍事的衝突だけではなくて、文化的な摩擦でも起こるものである。ただ一戰負けたからといつて、その後の戰ひに、無氣力・無抵抗のまま負けてゐて良いわけではない。
 現代の戰ひとは、まさに文化同士の眞剣な戰争であり、七十年も前の戰争とは別個の新たな戰争なのである。
 現代日本人は、戰争は國家間同士でしか起きないなどといふ、さういつた過去のステレオタイプな戰争観に縛られてはゐないだらうか。
 よく考へて見て欲しいのだ。過去の戰争が既に武力の衝突だけではなく、占領後のヘ育政策まで含む情報戰だつたことを、我々は間近で見てきたのではなかつたか。
 我々自身が過去の呪縛から離れ、新たな武器を發明し戰ひに赴くことが無ければ、日本語は亡びてしまふ。
 かつて、歐米列強の軍事的侵略に晒され、亞細亞全體が存亡の危機に陷つた時のやうに、である。
 丸腰では何も守れない。いくら日本語が大切だと力説してみても、武器が無ければ戰へない。
 我々の(理論)武装のために、今一度、日本語の在り方を冷静に議論する必要がある。

 本書での、現在の國語表記である「現代仮名遣い」は、表音主義に汚染されてしまってゐるとの小川氏の指摘が興味深い。
 「國語への惡意など毛頭ない。氣弱な善意である。使ふ人、特に若い人達が、少しでも樂に表記できるやうにといふ配慮である。」(468頁)
 けれども、一見害の無さそうなこの善意こそが、占領政策の本體だった。
 國語についての議論もないまま、占領に必要といふ理由だけで、表記の簡略化だけが日本人に強いられた。
 「國語の法則性、歴史的な経緯、美意識―――さうした歴史的假名遣ひを支へてゐた原理の全部」は、日本語を構成する要素でもある。
 規則性とは、主に文法・表記方法である。
 歴史的經緯も忘れてはならない。言葉が使はれなくなると、その意味も忘却されるので、日ごろ積極的に言葉を使ふオリエンテーション活動が必要である。

 それ以上に疎かにされがちと感ずるのは、美の問題である。
 日本語の多樣性は、美意識に支へられてゐる。
 それは、日本に美しいものがたくさんある、といふのは當然の前提として、何に美を感じるのか、美意識自體が個人でバラバラなのだ。
 誰しも美しいと感じるものを、在るがまま美しく表現するのが、藝術における言葉の役割なのだが、日本語はさらに個人でのバラつきまで表現しようとする。
 個人の感想はそれぞれ異なるから、そのひとつひとつに對應して別々の言葉を選べるやうに、日本語の語彙は擴がつていつたのである。
 英語では、「ビューティフル」から始まつて、「クール」とか「アメィジング」といつた表現があれば足りるが、日本人の感性では全然それでは滿足できないのである。
 また、音や表記に美を感じない言葉は、日本語ではない。

 再度確認されるべきことは、國語教育の理想は、〈讀まれるべき言葉〉を讀む國民を育てることだ。
 そこでいふ、〈讀まれるべき言葉〉とは、國語の規則性・歴史的經緯といつた正當性を備へ、我々が美を感得すると確信するところにあって、子孫にもこの〈美しさを傳へ遺したいもの〉でなければならない。
 水村氏は、日本語の理想像とは「遺すべきもの」と述べられてゐるのだ。小川氏も、そこに賛同してゐると思はれる。
 では、「遺すべきもの」とは何なのか。
 それは何か大切なものだ。もつとも、日本語の何が大事なのだらうか。
 まさに、「何が大事か」を、何を判断基準として、何を根據として決めるのか、それこそが重大事である。現代文學ではそこの掘り下げが欠けてゐるのである。
 日本語そのものについての考察が足りないから、日本語が劣化してゐても氣が付かない。
 日本語は、かうあるべき、と、大事なところを考へないで、ただ便利だからといふだけで英語を使はうとしてゐる。
 ただし、日本語を護るということは、「昔はかうだった」といふファッションを護ることではない。
 確かに思ひ出は美しい。では例へば、昔の恰好をすればそれだけで日本人は幸せになれるのか? そういふ話ではない。
 要するに、形(文法)だけ、歴史だけ、ではない日本語として日本人としての美の研鑽が求められる。そのことに現在の日本人が氣づかない限り、日本語は亡びるしかない、と小川氏は述べてゐる。慧眼である。

 昔の日本人は、日本語の何が大事なのか、といふことを攫んだ確信めいたものを持つてゐたやうに見える。
 だからこそ、日本語の良さを潰さずに、外來語である漢字・漢文を取り入れることに余裕があつた。
 英語を受容する段になつて、その餘裕が失はれたことは、日本語のみならず人類の文明全體にとつて大きな損失ではなかつたのではないか。 (安田倫子 やすだりんこ  本會常任理事、倫子塾主宰)




posted by 書評 at 11:56| Comment(0) | 安田倫子

2016年07月23日

「朗讀のための古訓古事記」、「朗讀のための萬葉集古義」岸本弘

 萬葉集の編者に擬せられる橘諸兄三十九世の孫橘曙覽(文化九年(一八一二)〜慶應四年(一八六八))は正月一日のことゝして
春に明けて先づ看る書も天地の始めの時と讀みいづるかな
と詠んだ。「天地の始めの時」は古事記冒頭の句である。我が先人達はこの日本現存最古の古典をはじめ種々の書物を好んで朗讀した。それを聞いた子や孫は又それらを音讀し、かくて我が國には多くの書物が傳へられて來た。明治になつてからでも、小學校から歸つた兒童達はその日に習つた國語讀本を音讀復習し、その聲が家々から聞えた。
敗戰後はこんな聲は殆ど耳にすることがなくなつた。原因はいろいろあらうが、その大きな理由には音讀して樂しくなるやうな文章に接しなくなつたことがある。言文一致の掛け聲の下、話すやうに書いただけの文章を音讀して果して樂しからうか。最近朗讀が見直され、專門家による朗讀の會が各地で盛況であるのは喜ばしいことであるが、それを聽いて、翌日自分も何か朗讀してみたいと思ふやうな文章が手近になければ、折角當日の感動もその場限りとなつてしまふ。
そのやうな現状に最適の朗讀用書籍がこの二册の本である。古訓古事記は本居宣長の、萬葉集古義は鹿持雅澄の、夫々原著を底本に、徹底した原文採録は、朗讀者を自然に日本語の原點たる獨特の情調に誘ひ、日本への囘歸を促す契機を提供して已まない。而もルビに至るまで歴史的假名遣で表記し、之を朗讀せしめてその效果を一層高めてゐることは、今日でも宮中の歌會始めの披講が御製を始め、すべての詠進歌を歴史的假名遣で表記して行はれてゐるのにも通じてゐる。
 その意味でも特に萬葉集が完全正字・正かなで印刷してあるのが(古事記は新漢字正かな)、Edicolorなる國産編輯ソフトを用ゐた著者自らの版下制作の結果であることに正統國語復活への希望の光を見出す者である。著者の長年に亙る金屬工學(冶金學)への貢獻を通しての活動が國民の文化たる國語への大きな助太刀となつてゐることに敬意を表したい。(市川浩)
 
posted by 書評 at 16:52| Comment(0) | 市川浩

2016年06月07日

「ほんとうの敬語」 萩野貞樹著

  誰もが關心を持ちながら、一向に理解できない敬語理論。本書はこれを明快に解き明かしてくれます。現代の敬語の混亂は、國語審議會の責任が大きいのですが、その中でも特に、昭和二十七年に文部大臣に建議した「これからの敬語」(金田一京助氏の起草?)が深刻な問題を孕んでゐたと著者は言ひます。
 これまでの敬語は主として上下關係に立って發達してきたが、これからの敬語は、各人の基本的人格を尊重する相互尊敬の上に立たなければならない
 なるほど、かういふ平等イデオロギーが背景にあつたのかと首肯されます。
 著者は、このやうな平等イデオロギーに反對し、敬語をかう定義します。
 (敬語とは)人間のなんらかの意味の上下關係の認識を表現する語彙の體系である。
 政治とも道徳とも平等とも無關係な、何といふ分かりやすい定義でせう。
 著者は、敬語を「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の三つに分類します。そのこと自體は世に流布する敬語論と違ひありません。
然るに、前述の國語審議會(平成十三年に芽出度く潰れました)の後身ともいふべき「文化審議會國語分化會」は、平成十九年(二〇〇七)に、「敬語の指針」の答申を提出し、敬語には五つの種類があると主張しました。謙讓語を「謙讓語T」と「謙譲語U(丁重語)」に分け、丁寧語を「丁寧語」と「美化語」に分けるといふものです。
 やたらに細かく分類する人は、簡潔な論理でまとめることができない人です。この五つの分類などはまさにそのクチですが、著者はこれを斥けます。そして、敬語理論はすべて、「上下關係」で説明できるとしてゐます。
 第一の「尊敬語」とは「話し手と話題の人物の上下關係だけに從ふ」ものです。「社長が來週うちにおいでになるよ」といふときは、「おいでになる」といふ尊敬語は、社長の方が話し手(私)よりも目上であることを示してゐます。
 著者は、他の學者や書物を小気味よく叩いてゐます。小學校六年用のさるヘ科書は、尊敬語を「相手や、相手に關係している事がらを敬って言い表す言葉づかいです」と言つてゐますが、著者はこれを一刀兩斷に切つて棄てます。
 「先生がいらつしやつたとき、お前はどこにゐたのだ」といふとき、尊敬語は「いらつしやる」ですが、どうしてこれが、相手(聽き手)に對する敬意を表してゐるはずがありませう。
 「謙讓語」は、「話題中に現れた人物同士の間の上下關係」だけを問題にしてゐるのです。世間の敬語の本には、「謙讓語」は「話し手側は動作を低めて言うことで相手への敬意を表すもの」と書いてありますが、著者は反論します。
 校長先生が生徒に向つて、「そのノート、擔任の先生からいただいたの?」と言ふときには、「いただく」が謙讓語ですが、決して校長先生が自分の動作を低めてゐるわけではありません。この「いただく」は、擔任の先生が、生徒よりも目上であることだけを示してゐるのです。
 三つめの「丁寧語」は、「聽き手に對してのみ敬意を表現するもの」です。
 「あの野郎がやりやがつたんです」といふのはののしりの表現ですが、「です」が使はれてゐるのは、聴き手が自分(話し手)よりも目上であることを示してゐます。生徒が先生に、友達の惡事を訴へてゐる場面を想像して下さい。
 このやうな理論を著者は見事な圖解で説明してゐます。他の學者の本にも、似たやうな圖解が載つてゐますが、この著者の圖解ほど簡潔明快なものは見たことがありません。著者の理論そのものが簡潔明快だからです。
 この圖解に附いてゐる解説の中で一番面白かつたのは、「おほす(仰す)」です。「広辞苑」では、「おほす」を「おっしゃる」の意味の尊敬語だとしてゐますが、さうでない、と著者は言ひます。なんと、「謙讓語」だといふのです。「くださる」と同樣に、上位者が下位者に物を言ふときに使ふからです。目から鱗が落ちるやうな素リらしい分析です。だからこそ、尊敬語として使ふときは、「おほせらる」と尊敬の助動詞を附けなければならないのです。
 「れる・られる」を尊敬語として使ふな、といふ著者の主張も注目を引きます。自發なのか、可能なのか、受身なのか分からなくなるからです。そもそも、尊敬語として「れる・られる」が頻繁に用ゐられるやうになつたのは、前述の國語審議會「これからの敬語」の中で、この「れる・られる」を尊敬の敬語の中心に位置づけたことから始まつたのだといふことです。
 著者の辭書批判も痛快です。
 ある辭書は「金魚に餌をあげる」を正しい言ひ方だとしてゐます。しかし、「あげる」は丁寧語ではなく、謙讓語なのですから、上位者にしか使へません。これを「上品な言葉遣いで自分の品位を保つためのもの」などと説明する辭書があります。著者は「辭書の劣化」といふ辛辣極まりない言葉で批判します。
 一番我が意を得たりといふ思ひにさせられたのは、次の一節です。
 言葉といふものはできるだけ變形しないやうに「保守」されなければ役に立たないものとなるからです。從つて、言葉の問題を扱ふ人は必ず「保守的」でなければなりません。
 言葉といふものは、一旦變つてしまつたら、なかなか元には戻りません。
 この美しい日本語といふ言語を與へられた我々には、國語を守るといふ義務が課せられてゐるのではないでせうか。
 それに關聯して、著者は、家庭内での言葉遣ひの重要性を説きます。母親を「おめえ」と呼ぶ家庭では、健康な母子關係が破壞されてゐますが、母子關係が破壞されたから「おめえ」と呼ぶやうになつたといふよりは、「おめえ」と呼んだからこそ反抗心が燃え上つたといふのです。
 なるほど、言語が人間の心にどんな重要な作用を及ぼすかを考へさせるヒントでもありました。(高田友)
posted by 書評 at 20:58| Comment(0) | 高田友