2017年12月22日

書評 [いろは歌 大和言葉の奇蹟―囲碁いろは百吟] 電子書籍版(kinoppy,kindle,iBooks,kobo にて購入可


大和言葉の魅力を十分に樂しめる名著               常任理事 加藤忠郎
「色は匂へど散りぬるを…」で知られる「いろは歌」は、日本語の四十七文字を重複することなく組み入れた七五調の歌として、千年以上の長きにわたり世界に冠たる日本の文化財であり續けた。この四十七文字歌を新しく作らうとした人は、千年以上の間に三十人ほどゐたが、本書の著者中山典之氏は圍碁のプロ棋士ながら、驚くべきことに生涯に千首以上ものいろは歌を作つた。

本書は平成11年11月に發行された氏の著書『圍爐端歌百吟』を復刻するとともに、平成18年5月13日 、國語問題協議會の春季講演會で行はれた『實踐「いろは歌」一千首』と題する氏の講演を収載したものである。國語に深い關心があれば、學識豐かな著者の「いろは歌」に魅せられるだらうし、また圍碁好きの方は「圍碁いろは」が樂しめるであらう。さらに裏表紙にあるシチヤウ(あたりの連續で最後には石をとられてしまふ)を使つて最終圖形を描く著者創案の「珍瓏(ちんらふ):ハート型」には誰もが感嘆するだらう。

本書収載の國語問題協議會での講演では、氏は宇野精一先生(當時の同協議會會長、國語學者)の話を紹介し、その話に出て來たイギリスのブリタニカ百科事典のアルファベットの項目について語つてゐる。世界に百の國があれば百の言語がある。民族が百あれば百のアルファベットがある。しかし、そのアルファベットが美しい歌で綴られてゐるのは日本だけであると。「いろは歌」といふのは世界に冠たる日本の財産である。イギリスにも「ABCD、EFG」という歌は有るには有るが、單なるメロディー。日本の方は、

色は匂(にほ)へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ
有爲(うゐ)の奥山けふ越えて 淺き夢みじ醉(ゑ)ひもせず

と、立派な歌になつてゐる。氏はさらに宇野先生の話も交へながら、GHQが「ゐ」や「ゑ」を死刑にしてしまつたから「いろは歌」が廃れてしまつたこと、「いろは歌」は弘法大師作と錯覚しているが今から千年ぐらい前の詠み入知らずの名歌であること、宇野先生が東大生に「いろは歌」を書かせたところ完全に書けた人がたった三分の一だったこと等語つてゐる。「いろは歌」は全ての假名を一度しか使はずに、意味のある歌になつてゐて、しかも七五調になつてゐことを要求されるので、これを作るのは大變に難しい。講演の中で「いろは歌」を作る祕訣を二三擧げてゐる。一番目は和歌俳句、そういふ日本古來の七五調に親しむべきこと、これは「いろは歌」を作るための絶對條件とのこと。二番目は漢字に親しんで漢文を學ぶこと。漢文といふのはボキャブラリーが豐富で、日本語で一瞬のうちに凝縮したやうな素晴しい表現がある。講演の内容は多岐にわたつてゐる。

中山典之氏は日本棋院東京本院所属のプロ棋士で昭和七年生れの長野縣上田市出身。鈴木五良八段に入門し、平成4年に六段に昇進。アマチュア出身で入段が遅く、タイトル戰などには縁がなかつたが、文才に長け、『実録囲碁講談』『囲碁の世界』など圍碁界に關する多數の著作がある。平成22年2月、腦梗塞により77歳で死去。七段を追贈されてゐる。

本書の構成は序章、第一章、第二章、第三章、第四章(『實踐「いろは歌」一千首』講演録)からなり、序章では「いろは歌」の蘊蓄を大いに語つてゐる。例へば「いろは歌」よりも古い時代にも四十七音または四十八音の歌を試みた例もあり、『阿女都千詞歌』は「あめ、つち、ほし、・・・・」と四十八音全て備えてゐるが歌といふより用語集である。これには「え」の文字が二度出てくるが、あ行のEとや行のYEであり、四十七字歌の「いろは歌」より古い證明になる、等と著者の造詣の深さが分かる。弘法太師が生きてゐた頃の古書によると幼兒が「あめつちのことば」を手習ひしたとは書いてあつても「いろは歌」を手習ひしたとは一度も書いてなく、「いろは歌」は弘法太師の作に非ずとの證明になる。明治になつて黒岩涙香が主宰する新聞社「萬朝報」が公募して最優秀になつた作品も有名だが、著者は「いろは歌」に比べて名歌とは言へないと言ふ。

鷄(とり)啼(な)く聲(こゑ)す 夢さませ 見よ明け渡る 東(ひんがし)を
空色榮(は)えて 沖つ邊(へ)に 帆船(ほふね)群れ居(ゐ)ぬ 靄(もや)の中(うち)

第一章では圍碁のことを詠んだ「同じ文字を一度しか使はない」四十八字歌を四十八首載せてゐる。しかも最初の文字が同じものがなくいろは順にならべてある。著者はこの種の歌を数年の間に既に一千餘首作つてゐて、その中から百首選んで載せてゐる。歌の下段に歌に因んだ短い隨筆も載せてゐるのが樂しい。評者も圍碁をいささか嗜むので、興味深く讀めた。例へば碁を打つ人には呆け老人がゐないので呆け對策になるとか、「二目の頭 見ずはねよ」とは有名な圍碁の格言だが念には念を入れて十秒ほど考へてから打つ等。第二章にも更に四十八首の圍碁いろは歌(二)が掲載されてゐる。

第三章には圍碁以外の四十八字歌が掲載されてゐる。第九十七番の「新いろは歌」は名作だ。平安の「いろは歌」が莊重難解とすれば、この「平成いろは歌」は輕快平明だ。「この歌が古歌に優つてゐるのは文法上の誤りがないことだ」と著者は自慢してゐる。因みに「いろは歌」の「わかよたれそ」の「そ」は文法的に間違っていて、正しくは「か」でなければならないが、格調の高さと流れるやうな名調子が缺點を補つてゐる。

色は空(くう)なり すべて無爲(むゐ) 常に非(あら)ざる 世を侘(わ)びぬ
み佛まかせ 稚兒(ちご)の夢 重き縁(えん)知れ 誰(た)そや醉(ゑ)ふ

第百番の「擬 琵琶湖周航歌」も秀逸である。三高の寮歌を想いつゝ作つた歌で、三高の卒業生の集りで講演した時に披露したところOBたちは大喜びしたとのこと。

我も海より さすらひて 艪(ろ)を任せ居(ゐ)ぬ 沖つ潮(しほ)
笛の音(ね)夢幻(むげん) 誰(た)そや漕(こ)ぐ 花散るゆゑに 雨いとへ



posted by 書評 at 16:08| Comment(0) | 日記