2016年04月13日

「ん」 山口謠司著(新潮新書)

どう發音してよいかわからないやうな本の題名だが、そのゆゑか、最近新聞のコラムなどの題名になつてゐるのが散見されて面白い影響を及ぼしてゐるとわかる。尤も、服部四郎博士に「『ん』について」といふ論文のあることが本書に紹介されてゐる。この服部博士はひとの發音を正確に聞き分けることに定評があり、「ン」の發音に十種類ほどあると言はれてゐたさうだ。このことに關連して、本書では「ん」は舌内撥音の〔n〕、喉内撥音の〔Ŋ〕、唇内撥音の〔m〕、の三種類に分類されてゐる。
著者の博搜により空海以來この「ん」一語に關心をもつたり氣に懸つた人の名が三十名も擧げられてゐることからも、この音が日本人の語感に、ひいては日本の文化にかかはりの深いことが傳はつてくる。
空海が始めて本格的に梵字悉曇學に取組み、古代印度人の氣づいてゐた論理的な言語構造を體得したことはその後の日本に大きな影響を及ぼしてゐる。眞言宗が國家から公認されたときに空海は、眞言僧として學ぶべき科目にユニークな「聲明業」を加へてゐた。これはいはゆる音樂の聲明といふより、梵字悉曇の學であつたといふ。古代印度のサンスクリットの學習を必修としたのである。そこから五母音と調音點とのマトリックスによる五十音圖が導きだされたが、カタカナ文字が出てくると「ン」はその表外に置かれて、ここに最初の「ア」と最後の「ン」により「阿吽」が成立つやうになつた。
一方で「ん」は、古くから實際にはかなり多くの單語の中で發音されてゐたにも拘らず、枕草子にも指摘されたゐるやうに汚い音とされ、鴨長明は喜撰を「きせ」と書き、撥音「ん」を捨てて書いたとする。そこで著者は、「ん」は言語としての音であると同時に、リズムを整へるための役割をはたしてゐるのだと言ふ。鳶と書いて「とんび」と讀む。そのやうな考察から「いろは歌」の系列は、日本人の情緒を維持する役目を果し、一方「アイウエオ」は論理的な體系の世界であり、書かれない「ん」は、その中間に位置し、イエスであるかノーであるかを保留してリズムに從ふ。もしも日本語に[ん]がなくなつたら、われわれは日本語のリズムを失ひ、情緒とシステムを繋ぐ糸を斷つて、日本のしつとりとして深い文化を根柢から崩壞させはしまいかと警告する。
論理と感情といふ單純な二元論では割切れない日本語の特性が「ん」を通して捉へられてゐるところは、相補的なDNAの二重螺旋構造を想起させて興味深いものがある。(谷田貝常夫)

posted by 書評 at 15:00| Comment(0) | 谷田貝常夫