2016年03月12日

東京セブンローズ 井上ひさし著

このやうに面白い本を讀んだのは久し振りのことだ。
友人に紹介されて讀んだが、久しぶりに痛快かつ面白い本だつた。小さい活字で七八〇頁と言ふ大部ながら、數日で讀了した。著者の井上ひさしが、實在の日記と覺しき資料を發見し、これを膨らませながら日本の戰後の社會がどのやうに生れたかと言ふこととGHQが日本語を破壞しやうとしたのを「東京セブンローズ」と言ふ七人の美女がそれを阻止したと言ふお話。この小説は平成に入つてから出版されたにも拘らず、正漢字、正假名遣ひで書かれてゐる。この書評もそれにならつて正漢字、正假名遣ひで書く。

日記は根津に住んでゐた偏執狂的に日記を書くのが好きな團扇屋の主人が書いてゐて、戰時中のB29の空襲が續く東京で庶民が如何に暮らしてゐたか、戰後は如何にしぶとく生き殘つて來たかを實にリアルに描いてゐる。そんなことがあつたのかとは知らなかつた一例を示すと、戰時中は紙不足のために、新聞を複數購讀してゐる家庭は、それをどれか一紙にするやう通達があつたとか、戰後では誠文堂新光社と言ふ出版社が戰後すぐに出した「日米會話手帳」と言ふ本が、發賣から半月で二〇〇萬部を超えたと言ふ話など。細い所は事實に則つて書かれてゐるのだらうが、戰後團扇屋の主人が警視廳文書課の雇となり、ガリ版を切つてゐた時に讀んだ地方からマッカーサー元帥宛に出された手紙の中身などは井上ひさしの創作に違ひない。井上ひさしが今村忠純氏との對談で「細部は眞實だが、全體を見ると嘘と言ふ、僕のいつものやり方です」と言つてゐたさうだが、眞實と嘘の境目が分らないやうに實に巧く書かれた小説である。

戰時中は「鬼畜米英」と言つてゐたのに戰後は「アメリカさん、アメリカさん」と態度がころつと變つてしまつた日本人を見て、團扇屋の主人は自分はさう簡單には變はらないとその態度を通さうとするが、妻や娘からは馬鹿にされてしまふ。自分の娘二人も入つてゐる東京セブンローズは進駐軍の將校に春をひさいでゐる七人の美人達だが、變則的な美人局をアメリカからやつて來た教育使節團のキーマン達に仕掛け、日本語のローマ字化を阻止する。この國語改惡問題の經過の史實を紹介して、この書評を終へることにする。

文部省は明治の頃から音韻文字の採用を基本方針として、漢字を排除し、假名文字にするか、ローマ字にするか得失を調査させてゐた。良識ある國語学者や文學者が反對し、漢字假名交じり文に慣れた國民も眞劒に受け取らなかった。所が、戰後GHQの占領下で、漢字の全面的な廢止が政府決定され、實際に廢止されるまでの、當面使用される漢字として一八五〇字の「当用漢字表」が定められ、教育、公文書、新聞等のマスメディアで使はれる漢字の數が制限されるようになつた。このやうな動きに反對する聲が漸く出て來たのは、敗戰から十數年經つてからである。昭和三十三年には、後に名著とされる福田恆存の「私の國語教室」が連載され、昭和四十年には、國語審議會會長が、初めて、日本語の表記方法は「漢字假名交じり文」であることを前提として審議を進めることを記者會見で發表する。漢字が殘つたことは「表音主義者」の敗北を意味した譯ではなく、「傳統的かなづかひ」を「表音式かなづかひ」に改めると言ふ小さな勝利を彼等は収めた。福田恆存の「私の國語教室」には、「表音主義」が日本語にとつて合理性を缺くものであり、「表音式かなづかひ」が、いかに日本語を混亂させたかが語られてゐる。「私の國語教室」の最後の一言、「なるほど、戰に敗れるといふのはかういふことだつたのか」が、胸に迫る。福田恆存のような人が嘆くのは、改惡の根底にある「表音主義」が、究極的には、文化そのものの否定につながるからである。
(加藤忠郎 かとうただを<公財>日本發明振興協會副理事長)
 
posted by 書評 at 14:44| Comment(0) | 加藤忠郎