2015年10月12日

「てんてん−日本語究極の謎に迫る」 山口謠司著 (角川選書)

「てんてん」とは濁點のこと。ヨーロッパ語では、「か」はka、「が」はga。kとgといふ全く別の文字を使つて表記する。しかるに、日本語は同じ文字に「てんてん」をつけるだけで別の發音になる。「てんてん」によつて、元の文字の音價を變へるのである。
 なぜ、濁音を表す別の文字が出來なかつたのか。これが「日本語究極の謎」だといふ。
戰前の「五十音圖」にはC音だけしかなかつた。「ガ行」「ザ行」などの濁音は五十音圖の枠から除外されてゐた。濁音はC音の補助的なものと考へられてゐたからである。「平安時代前期、〈かな〉が最終的に形作られていく段階で、漢語の中に現はれる濁音も意識されるようになってきた」と氏は述べる。それまでは意識がなかつたから、濁音を表はす文字は作られなかつたのである。この日本語の謎を解明して行く手法には、シャーロック・ホームズにも似た、氏の見事な推理力が窺はれる。
そして、私のやうな國語の知識が生半可な人間には、氏が整理してくれる國語の歴史や、漢字傳來のプロセスは甚だ役に立つ。
「ハ行轉呼音」(「思ふ」をなぜ「オモウ」と讀むか)は知つてゐる人が多いだらうが、ではなぜ、「てふてふ(蝶々)」が「ちょうちょう」と讀まれるに到つたかを論理的に説明できる人は少なからう。萬葉の時代には、「蝶」は「ディエップ」と發音され、萬葉假名では「代布」の字が宛てられてゐたといふのも興味深い。
もちろん、このやうな現象は、日本が漢字を受け入れた爲に生じたものである。日本の漢字の音讀み、特に漢音は、現代北京語とは相當に違つてゐて、香港などの南方音に近いと言はれるが、どうしてさうなつてゐるのかも本書は見事に解明してくれてゐる。
現代中國語には聲調(四聲)といふ名のアクセントがある。「第一聲」「第二聲」「第三聲」「第四聲」の四つに分かれてゐる。漢文の「平上去入」はこれときちんとは對應してゐないが、聲調の古いタイプであると言つても大過はない。
この聲調を表記する方法を古代の中國人は考へ出した。「漢字の四隅に、『○』というアクセント記号をつけて表した」のである。これを「聲點(しょうてん)」「四聲點(しせいてん)」と言う。「唐代に入ってから本を読む際に、この声点がつけられるようになったという」。
 なぜ、中國人にとつて、母語の表記に「聲點」が必要だつたかといへば、同じ漢字が意味によつてアクセントが違つてゐたからである。「『教』は『平声』の場合は『教えること』であるが、『去声』の場合は『教える』あるいは使役を表す動詞になる」。そこで、區別の必要が生じたのである。
この「聲點」が、現代の日本語の濁音の「てんてん」の源だといふのである。
日本語の成長に貢獻した人として、氏はまづ空海を擧げる。
平假名・片假名を作ったのが空海だといふのは誤解であり、空海はそれよりも前の時代の人だ。しかし、空海の遺した研究が、後世の日本語に大きな影響を與へたことは間違ひない。氏は空海の功績を存分に評價し、空海がサンスクリット語(梵語)といふ表音文字による表記法に觸れたことが、萬葉假名の存在と相俟つて、平假名・片假名の發明につながつたのだといふ。
本書は、專門家・素人を問はず、讀者を堪能させてくれる名著である。專門家にとつては、今までの知識の缺陷を埋めてくれる新發見の書であり、素人にとつては、國語学への導入の書である。學生諸君は、理科系など專門外であつても、本書を繙けば、數學の論理とは一味違ふ、言語の論理といふものに目を開かれる思ひがするであらう。《高田友》
posted by 書評 at 17:41| Comment(0) | 高田友