素晴しい至福の時間が過ごせる電子本 常任理事 加藤忠郎
世界的に知られる童話作家ハンス・アンデルセンの最初の自傳的長編小説『卽興詩人』は、日本では森鷗外の典雅な文語譯で廣く知られてゐます。ストーリー展開の面白さとともに、イタリヤの旅行記とも呼べる作品は日本でも大きな反響を呼びました。森鷗外の譯は原作以上に素晴らしい文學作品だとも謂はれてゐます。
本書はやゝ難しい文語文のあらすじを著者が分かり易く書き、要所要所に原文が現はれ、原文を見ながら情感あふれる朗讀を聽くことが出來ます。森鷗外の文語文を此のやうに朗讀出來るのは此の人の他にはゐないと思ひました。朗讀するのはNHKでも何度も出演してゐる橘由貴さんで、數十の登場人物を語り分け出來る「ヴォイスアーティスト」と自稱する素晴らしい朗讀家です。
文語文の原文を見ながら橘由貴さんの朗讀を聽いてゐると至福の時間を過ごすことが出來ます。特に主人公のアントニオがサンタ夫人に迫られる場面と、アントニオが愛したアヌンチアタの死を覺悟した手紙の朗讀は壓卷です。
「卽興詩人ハンス・アンデルセン著 森鷗外譯(電子書籍版)」谷田貝常夫要約、橘由貴朗讀(kindle にて購入可)
2020年07月07日
書評 「卽興詩人ハンス・アンデルセン著 森鷗外譯(電子書籍版)」
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| 加藤忠郎
2018年03月13日
小谷惠三著「『もののあはれ』を読み解く」(ミネルヴァ書房)を讀む
「『源氏物語』の真実」と副題を附してあり。源氏物語の通説を悉く論破して、「紫式部の意圖はかかる所にはあらざりき」との所説を、人をして刮目(かつもく)せしむる緻密なる論理と推理もて解き明かせる力作なり。著者は苦學して高校教師となりたるが、源氏物語原文を始め、中世以來數多の源氏關係の「諸書」を廣く深く讀みたるの儀、豈(あに)驚愕せられであるべけん。
「諸書」に對しては、齒に衣着せぬ批判を浴びする、實(げ)に痛快といふの外なし。「学者諸氏は古語の意味を自らの読解力によって明らかにするといふ努力をせず、安易に辞典の説明に従ってゐるのである」と挑戰状を叩き附くるあり。大野晉氏・丸谷才一氏の如き大家に對しても、舌鋒鋭くその過誤を咎め、翻つて、一條兼良「花鳥餘情」も北村季吟「源氏物語湖月抄」も敢へて尊崇するに該らずと言ふに躊躇なし。剩へ、サイデンステッカーの英譯にも從來の通説に引かれたる誤譯尠なからずと指摘す。
現代語譯の中にては、圓地文子のみ之を是とし、與謝野晶子も谷崎潤一郎も瀬戸内寂聴も、讀解力の缺如ゆゑの誤譯甚だしと筆誅を加ふる、「恐れ入りました」と平伏するの外なし。
然而(しかりしかうして)、如今世を席捲する素人のハッタリと同斷なるにはあらず。小谷氏自ら、「全篇を読み通す機会を与へられた」のは「(高校を)退職した翌年」と言ふなれど、爾來、如何にか源氏に打ち込み給ひけんと察せらるる作品なり。
源氏の第二の正室・女三宮と通じて薫を生ませたる柏木。この人、朱雀院の五十の賀の席にて、源氏に「酔いにまぎれて皮肉をあびせられ」、「睨み殺された」といふが從來の定説なれど、小谷氏は何爲(なんすれぞ)さならんと反駁す。源氏は紫式部の理想の男性なれば、かかる賤しき復讐に出づることなかるべしとの由。自らの、かつて藤壺(父帝の女御・中宮)と通じたるを、父帝「知らず顔」にて通し給ひしを思ひ出して、「恋の山路」を「もどく(非難)」が如きはすまじと期し、聰明なる對應をしたれども、柏木動顛して已まず。煩悶して命を縮めたりき。然れども、小谷氏は「それは柏木の自責の思ひが自分を苦しめてゐるのであって、源氏の言葉が刺を含んでゐたのではない」とぞ仰せらるる。一には、我が力不足の所爲(せゐ)ならめど、かかる説得力ある論理に觸るれば、悉く小谷氏正鵠を射たるにあらずや、從來の源氏論は殘らず反故(ほご)の如きにあらずやとさへ思はるるに至る。「革命的なる源氏物語論」と評するも大過なからん。
源氏物語の女性を對象に美人コンテストを催せば、一位は玉鬘、二位は右に述べたる女三宮ならんとさる評者の言へるを讀みたる記憶あり。玉鬘は才色兼備、女三宮は呆けたる白痴美の女性といふが通り相場なれど、小谷氏は相當なるページを割きて、「女三宮辯護論」を展開す。
特に、女三宮の「琴の琴(きんのこと)」の名手たりしに氏は注目せらる。さは源氏が教授したるがゆゑにはあれど、「琴の琴」は習得の困難なるを以て知られたり。源氏物語にては、音樂の役割極めて重きを爲せど、源氏は女三宮の才、傑出したものありと見抜きたるなり。
さらに、宮は優れたる歌を詠む。密通發覺して、落飾したる後の中秋の名月の夜に、左の如きをこそ詠みたれ。
大方の秋をば憂しと知りにしを振り捨てがたき鈴虫の声
紫式部もこの歌を「あてにおほどかなり」と評してあり(式部の作れるなれど)。
この歌の從來の解釋にも著者は異を立つ。「諸書」は異口同音に、「秋」は「飽き」と掛詞にして、女三宮の(密通のゆゑに)源氏に疎まれたるを嘆きたりと言へれど、著者はさならずと云ふ。
「学者たちはとにかく源氏は柏木との一件以來、女三宮を憎んでゐるとしか考へることが出来ないのであるが、『物語』の中には源氏の心情はそのやうには書かれてゐない」との説を唱へらるるなり。
本書を讀むに、源氏と女三宮は終生優渥なる愛を通はせ合ひたるなり。この貴顯の女性は、紫の上と竝ぶ源氏の生涯の憧れの女性なりしにあらずやと思はる。また、紫式部も紫の上と竝びて、この女性に傾倒したるに相違なし。
源氏薨去の後の「宇治十帖」の中にては、源氏の實の子ならざる薫、源氏の跡を襲ひたる第二代の理想の男性たり。これまた必定(ひつぢやう)、紫式部の女三宮に對する愛着の爲す所なるべし。
かくのごとく、著者は、源氏・紫・女三宮・柏木、就中生靈と化したる六條御息所につきて、温かく肯定的なる分析を加ふ。そもそも、かくも大作にして名作なる物語を書きたるなり。登場人物を貴(あて)なる人格の持主に比定するなくんば、たうてい、作者自らストーリーに堪能して物語を成立せしむること能はざりけんと納得せらるる所以なり。安易なる性善説に溺れんとは思はねど、式部は男性と女性の理想像をこの物語の中に吹き込みたりといふべし。
また「宇治十帖」の登場人物の中に、名高き惡役匂宮。この人の浮舟に對する衷情にも筆者は思ひ遣りある視線を向く。匂宮が初めて浮舟に會ひたる場面にて、浮舟は「むくつけくなりぬ」と原文にはあれど、これも諸書が「気味惡く」などと注釋を附するを指摘して、誠は「事態がよく理解出来ず、予見が出来ない」との謂ひに過ぎずと説く。
巻末の「『源氏物語』余説」にては、往昔(いんじ)に遡りて源氏の評價を紹介す。儒者連は源氏物語を「専ラ好色ノ辞ヲ作リ、以テ姦淫ノ媒介(なかだち)ト為ス」(家田大峰)、或いは「伊勢・源氏は、言はば長恨歌・西廂記などの品にて、その冗長にして醜悪なる物ぞかし」(室鳩巣)などと言ひ、小谷氏も「儒学的見解」には辟易の辭を述ぶるも、儒者連の中にて、熊澤蕃山の「源氏外伝」のみは、「実に優れた『源氏物語』論を述べたもの」と評價してあり。「源氏物語は表には好色のことを書けども、実は好色のことに非ず」といふが蕃山の言葉なり。
本書「まへがき」にて、源氏物語は「単なる色恋の物語」にはあらで、實人生における「感慨の幅を広げるためのトレーニングの練習場」なりと主張す。本朝の人、最も誇りとすべき文化遺産の頂點に立つ「源氏物語」の高貴なる精神を改めて確認せしむる絶妙の書なり。
本書は、假名遣は歴史的假名遣を用ゐれど、漢字は新漢字なり。若き人にも讀むに勞少なからしめんとの配慮ならん。源氏を生半可に知る人(それがしもさなれど)なりとも、本書を讀むあらば、改めて源氏を繙(ひもと)かんと思ひ立つの段あるべし。
「諸書」に對しては、齒に衣着せぬ批判を浴びする、實(げ)に痛快といふの外なし。「学者諸氏は古語の意味を自らの読解力によって明らかにするといふ努力をせず、安易に辞典の説明に従ってゐるのである」と挑戰状を叩き附くるあり。大野晉氏・丸谷才一氏の如き大家に對しても、舌鋒鋭くその過誤を咎め、翻つて、一條兼良「花鳥餘情」も北村季吟「源氏物語湖月抄」も敢へて尊崇するに該らずと言ふに躊躇なし。剩へ、サイデンステッカーの英譯にも從來の通説に引かれたる誤譯尠なからずと指摘す。
現代語譯の中にては、圓地文子のみ之を是とし、與謝野晶子も谷崎潤一郎も瀬戸内寂聴も、讀解力の缺如ゆゑの誤譯甚だしと筆誅を加ふる、「恐れ入りました」と平伏するの外なし。
然而(しかりしかうして)、如今世を席捲する素人のハッタリと同斷なるにはあらず。小谷氏自ら、「全篇を読み通す機会を与へられた」のは「(高校を)退職した翌年」と言ふなれど、爾來、如何にか源氏に打ち込み給ひけんと察せらるる作品なり。
源氏の第二の正室・女三宮と通じて薫を生ませたる柏木。この人、朱雀院の五十の賀の席にて、源氏に「酔いにまぎれて皮肉をあびせられ」、「睨み殺された」といふが從來の定説なれど、小谷氏は何爲(なんすれぞ)さならんと反駁す。源氏は紫式部の理想の男性なれば、かかる賤しき復讐に出づることなかるべしとの由。自らの、かつて藤壺(父帝の女御・中宮)と通じたるを、父帝「知らず顔」にて通し給ひしを思ひ出して、「恋の山路」を「もどく(非難)」が如きはすまじと期し、聰明なる對應をしたれども、柏木動顛して已まず。煩悶して命を縮めたりき。然れども、小谷氏は「それは柏木の自責の思ひが自分を苦しめてゐるのであって、源氏の言葉が刺を含んでゐたのではない」とぞ仰せらるる。一には、我が力不足の所爲(せゐ)ならめど、かかる説得力ある論理に觸るれば、悉く小谷氏正鵠を射たるにあらずや、從來の源氏論は殘らず反故(ほご)の如きにあらずやとさへ思はるるに至る。「革命的なる源氏物語論」と評するも大過なからん。
源氏物語の女性を對象に美人コンテストを催せば、一位は玉鬘、二位は右に述べたる女三宮ならんとさる評者の言へるを讀みたる記憶あり。玉鬘は才色兼備、女三宮は呆けたる白痴美の女性といふが通り相場なれど、小谷氏は相當なるページを割きて、「女三宮辯護論」を展開す。
特に、女三宮の「琴の琴(きんのこと)」の名手たりしに氏は注目せらる。さは源氏が教授したるがゆゑにはあれど、「琴の琴」は習得の困難なるを以て知られたり。源氏物語にては、音樂の役割極めて重きを爲せど、源氏は女三宮の才、傑出したものありと見抜きたるなり。
さらに、宮は優れたる歌を詠む。密通發覺して、落飾したる後の中秋の名月の夜に、左の如きをこそ詠みたれ。
大方の秋をば憂しと知りにしを振り捨てがたき鈴虫の声
紫式部もこの歌を「あてにおほどかなり」と評してあり(式部の作れるなれど)。
この歌の從來の解釋にも著者は異を立つ。「諸書」は異口同音に、「秋」は「飽き」と掛詞にして、女三宮の(密通のゆゑに)源氏に疎まれたるを嘆きたりと言へれど、著者はさならずと云ふ。
「学者たちはとにかく源氏は柏木との一件以來、女三宮を憎んでゐるとしか考へることが出来ないのであるが、『物語』の中には源氏の心情はそのやうには書かれてゐない」との説を唱へらるるなり。
本書を讀むに、源氏と女三宮は終生優渥なる愛を通はせ合ひたるなり。この貴顯の女性は、紫の上と竝ぶ源氏の生涯の憧れの女性なりしにあらずやと思はる。また、紫式部も紫の上と竝びて、この女性に傾倒したるに相違なし。
源氏薨去の後の「宇治十帖」の中にては、源氏の實の子ならざる薫、源氏の跡を襲ひたる第二代の理想の男性たり。これまた必定(ひつぢやう)、紫式部の女三宮に對する愛着の爲す所なるべし。
かくのごとく、著者は、源氏・紫・女三宮・柏木、就中生靈と化したる六條御息所につきて、温かく肯定的なる分析を加ふ。そもそも、かくも大作にして名作なる物語を書きたるなり。登場人物を貴(あて)なる人格の持主に比定するなくんば、たうてい、作者自らストーリーに堪能して物語を成立せしむること能はざりけんと納得せらるる所以なり。安易なる性善説に溺れんとは思はねど、式部は男性と女性の理想像をこの物語の中に吹き込みたりといふべし。
また「宇治十帖」の登場人物の中に、名高き惡役匂宮。この人の浮舟に對する衷情にも筆者は思ひ遣りある視線を向く。匂宮が初めて浮舟に會ひたる場面にて、浮舟は「むくつけくなりぬ」と原文にはあれど、これも諸書が「気味惡く」などと注釋を附するを指摘して、誠は「事態がよく理解出来ず、予見が出来ない」との謂ひに過ぎずと説く。
巻末の「『源氏物語』余説」にては、往昔(いんじ)に遡りて源氏の評價を紹介す。儒者連は源氏物語を「専ラ好色ノ辞ヲ作リ、以テ姦淫ノ媒介(なかだち)ト為ス」(家田大峰)、或いは「伊勢・源氏は、言はば長恨歌・西廂記などの品にて、その冗長にして醜悪なる物ぞかし」(室鳩巣)などと言ひ、小谷氏も「儒学的見解」には辟易の辭を述ぶるも、儒者連の中にて、熊澤蕃山の「源氏外伝」のみは、「実に優れた『源氏物語』論を述べたもの」と評價してあり。「源氏物語は表には好色のことを書けども、実は好色のことに非ず」といふが蕃山の言葉なり。
本書「まへがき」にて、源氏物語は「単なる色恋の物語」にはあらで、實人生における「感慨の幅を広げるためのトレーニングの練習場」なりと主張す。本朝の人、最も誇りとすべき文化遺産の頂點に立つ「源氏物語」の高貴なる精神を改めて確認せしむる絶妙の書なり。
本書は、假名遣は歴史的假名遣を用ゐれど、漢字は新漢字なり。若き人にも讀むに勞少なからしめんとの配慮ならん。源氏を生半可に知る人(それがしもさなれど)なりとも、本書を讀むあらば、改めて源氏を繙(ひもと)かんと思ひ立つの段あるべし。
posted by 書評 at 17:32| Comment(0)
| 高田友
2017年12月22日
書評 [いろは歌 大和言葉の奇蹟―囲碁いろは百吟] 電子書籍版(kinoppy,kindle,iBooks,kobo にて購入可
大和言葉の魅力を十分に樂しめる名著 常任理事 加藤忠郎
「色は匂へど散りぬるを…」で知られる「いろは歌」は、日本語の四十七文字を重複することなく組み入れた七五調の歌として、千年以上の長きにわたり世界に冠たる日本の文化財であり續けた。この四十七文字歌を新しく作らうとした人は、千年以上の間に三十人ほどゐたが、本書の著者中山典之氏は圍碁のプロ棋士ながら、驚くべきことに生涯に千首以上ものいろは歌を作つた。
本書は平成11年11月に發行された氏の著書『圍爐端歌百吟』を復刻するとともに、平成18年5月13日 、國語問題協議會の春季講演會で行はれた『實踐「いろは歌」一千首』と題する氏の講演を収載したものである。國語に深い關心があれば、學識豐かな著者の「いろは歌」に魅せられるだらうし、また圍碁好きの方は「圍碁いろは」が樂しめるであらう。さらに裏表紙にあるシチヤウ(あたりの連續で最後には石をとられてしまふ)を使つて最終圖形を描く著者創案の「珍瓏(ちんらふ):ハート型」には誰もが感嘆するだらう。
本書収載の國語問題協議會での講演では、氏は宇野精一先生(當時の同協議會會長、國語學者)の話を紹介し、その話に出て來たイギリスのブリタニカ百科事典のアルファベットの項目について語つてゐる。世界に百の國があれば百の言語がある。民族が百あれば百のアルファベットがある。しかし、そのアルファベットが美しい歌で綴られてゐるのは日本だけであると。「いろは歌」といふのは世界に冠たる日本の財産である。イギリスにも「ABCD、EFG」という歌は有るには有るが、單なるメロディー。日本の方は、
色は匂(にほ)へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ
有爲(うゐ)の奥山けふ越えて 淺き夢みじ醉(ゑ)ひもせず
と、立派な歌になつてゐる。氏はさらに宇野先生の話も交へながら、GHQが「ゐ」や「ゑ」を死刑にしてしまつたから「いろは歌」が廃れてしまつたこと、「いろは歌」は弘法大師作と錯覚しているが今から千年ぐらい前の詠み入知らずの名歌であること、宇野先生が東大生に「いろは歌」を書かせたところ完全に書けた人がたった三分の一だったこと等語つてゐる。「いろは歌」は全ての假名を一度しか使はずに、意味のある歌になつてゐて、しかも七五調になつてゐことを要求されるので、これを作るのは大變に難しい。講演の中で「いろは歌」を作る祕訣を二三擧げてゐる。一番目は和歌俳句、そういふ日本古來の七五調に親しむべきこと、これは「いろは歌」を作るための絶對條件とのこと。二番目は漢字に親しんで漢文を學ぶこと。漢文といふのはボキャブラリーが豐富で、日本語で一瞬のうちに凝縮したやうな素晴しい表現がある。講演の内容は多岐にわたつてゐる。
中山典之氏は日本棋院東京本院所属のプロ棋士で昭和七年生れの長野縣上田市出身。鈴木五良八段に入門し、平成4年に六段に昇進。アマチュア出身で入段が遅く、タイトル戰などには縁がなかつたが、文才に長け、『実録囲碁講談』『囲碁の世界』など圍碁界に關する多數の著作がある。平成22年2月、腦梗塞により77歳で死去。七段を追贈されてゐる。
本書の構成は序章、第一章、第二章、第三章、第四章(『實踐「いろは歌」一千首』講演録)からなり、序章では「いろは歌」の蘊蓄を大いに語つてゐる。例へば「いろは歌」よりも古い時代にも四十七音または四十八音の歌を試みた例もあり、『阿女都千詞歌』は「あめ、つち、ほし、・・・・」と四十八音全て備えてゐるが歌といふより用語集である。これには「え」の文字が二度出てくるが、あ行のEとや行のYEであり、四十七字歌の「いろは歌」より古い證明になる、等と著者の造詣の深さが分かる。弘法太師が生きてゐた頃の古書によると幼兒が「あめつちのことば」を手習ひしたとは書いてあつても「いろは歌」を手習ひしたとは一度も書いてなく、「いろは歌」は弘法太師の作に非ずとの證明になる。明治になつて黒岩涙香が主宰する新聞社「萬朝報」が公募して最優秀になつた作品も有名だが、著者は「いろは歌」に比べて名歌とは言へないと言ふ。
鷄(とり)啼(な)く聲(こゑ)す 夢さませ 見よ明け渡る 東(ひんがし)を
空色榮(は)えて 沖つ邊(へ)に 帆船(ほふね)群れ居(ゐ)ぬ 靄(もや)の中(うち)
第一章では圍碁のことを詠んだ「同じ文字を一度しか使はない」四十八字歌を四十八首載せてゐる。しかも最初の文字が同じものがなくいろは順にならべてある。著者はこの種の歌を数年の間に既に一千餘首作つてゐて、その中から百首選んで載せてゐる。歌の下段に歌に因んだ短い隨筆も載せてゐるのが樂しい。評者も圍碁をいささか嗜むので、興味深く讀めた。例へば碁を打つ人には呆け老人がゐないので呆け對策になるとか、「二目の頭 見ずはねよ」とは有名な圍碁の格言だが念には念を入れて十秒ほど考へてから打つ等。第二章にも更に四十八首の圍碁いろは歌(二)が掲載されてゐる。
第三章には圍碁以外の四十八字歌が掲載されてゐる。第九十七番の「新いろは歌」は名作だ。平安の「いろは歌」が莊重難解とすれば、この「平成いろは歌」は輕快平明だ。「この歌が古歌に優つてゐるのは文法上の誤りがないことだ」と著者は自慢してゐる。因みに「いろは歌」の「わかよたれそ」の「そ」は文法的に間違っていて、正しくは「か」でなければならないが、格調の高さと流れるやうな名調子が缺點を補つてゐる。
色は空(くう)なり すべて無爲(むゐ) 常に非(あら)ざる 世を侘(わ)びぬ
み佛まかせ 稚兒(ちご)の夢 重き縁(えん)知れ 誰(た)そや醉(ゑ)ふ
第百番の「擬 琵琶湖周航歌」も秀逸である。三高の寮歌を想いつゝ作つた歌で、三高の卒業生の集りで講演した時に披露したところOBたちは大喜びしたとのこと。
我も海より さすらひて 艪(ろ)を任せ居(ゐ)ぬ 沖つ潮(しほ)
笛の音(ね)夢幻(むげん) 誰(た)そや漕(こ)ぐ 花散るゆゑに 雨いとへ
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| 日記